うさぎのしっぽの20周年展
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うさぎのしっぽは、店長くん事、代表町田と裏方としてデザインやシステムなどを一手に担う蔵並(専務)の二人で作り上げてきました。開業当時、ペット関係とは程遠いキャリアの二人は、当然のようにペット業界の事は何も知りません。もちろん会社を作り上げる方法も知りません。当然、インターネットもありません。全てアナログで、1から作り上げる必要がありました。実は、何の既成概念にとらわれず、0からスタートした事が、今のうさぎのしっぽに繋がっているのだと思います。
20年前のうさぎの世界というと、屋外で家畜としての飼育が一般的、牧草もほとんど販売されていない、ペレットも実験動物用フード、屋外飼育を対象にしたものが主流でした。もちろん、うさちゃんを診察してくれる獣医師もほとんどいません。ペットショップでは、うさちゃんが1匹五百円位から数千円で販売されている時代です。うさちゃんが病気になっても獣医師に連れていく習慣などほとんどありません。うさぎと出会った人が、その出会いに感謝し、共に良かったと思えるようにするには、何をすればいいのか?その答えは、簡単でした。全て作っていけばいい。 |
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『たかがうさぎでしょ。治療するより新しいのを買ってきたら』こんな会話がされていた時代に、血統管理され、何世代にも渡って病気や形質、性質を管理されて育ったうさぎの存在を示す事が、必要だと考えました。純血種だろうが、ミックス種だろうが、可愛さには変わりありません。しかし、まずはうさぎの既成概念を壊す事が必要で、大切な存在であると気づいてもらう事に意味があると考えました。これは、ペットメーカー、獣医師、そしてうさぎと関わりのある全ての人に対してです。店頭では、親うさぎの血統書の展示、お客様には獣医師にうさちゃんを診てもらうように促し、メーカーにはうさぎ用品の提案を行い、外部には、純血種の展示会の開催を行いました。
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うさぎのしっぽの創業当時、店内に並んでいる用品は、アメリカからの直輸入がほとんどでした。それは、アメリカの用品が日本でのうさぎ飼育に適していたからではありません。日本に適した用品が日本になかったからです。うさちゃんや飼い主さんにとって大切なケージ、これは、その機能がとても大切です。輸入ケージは、AUG(オーグ)ケージとして、今、日本で販売しているケージに大きく影響を与えました。現在、しっぽで販売しているプロケージは、その集大成です。一番、うさちゃんにとって快適で飼い主さんにとって使い易いと自負しています。開業当時、メーカーに用品の提案を行うと決まって『貴重なご意見ありがとうございました』と返答されるだけで、その意見はほとんど取り合ってもらえませんでした。横浜の丘の上の無名なペットショップの意見が通るわけがないというのは、もちろん当たり前の事です。獣医師やうさちゃんの飼育に詳しいと言われる方からも、乳酸菌などサプリ系補助食品やコニュニケーションおやつ、うさちゃんのエンリッチメントを充実させるおもちゃも受け入れられませんでした。始まりはアウェイでしたが、少しずつ認められていったと思います。中でも、うさちゃんの『食』に関する理解と独自のポリシーを持っている有限会社ウーリーの小澤社長とうさちゃんの『住』に関して、私たちの意見を真摯に受けとめて用品展開に力を貸してくれた株式会社川井の川井社長との出会いはとても大きなものでした。そして、うさちゃんにとって快適な飼育環境を作るには、うさぎのしっぽの考え方が多くの方に支持される事、それに向かって努力し続ける事が本当に必要だと思い、打たれ強くも提案開発を続けてきました。
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うさちゃんを診れる獣医師がいなければ、安心してうさちゃんを家族として迎える事ができません。うさぎ飼い主さんからは、うさちゃんを診れない獣医師の話が少なからずありました。うさぎ飼い主さんにとってアウェイの時代、どうしたらうさちゃんに強い獣医師が現れるのか。私たちは、獣医師にうさちゃんを診せに行く事、たくさんの経験をしてもらう事で、きっと獣医医療は向上する事をお話しし、まずは健康診断をするようにお勧めしました。健康診断お断りという獣医師の先生もいる中、元気な時を診せてくれたら、病気の時の変化がわかるので積極的に受診を勧めている先生の言葉が大きな励みになりました。一方、当時設立されたばかりのアニコムさんと一緒に初めて『うさぎの保険』(ペット共済)の募集を開始したのもうさぎのしっぽでした。ちなみに、その保険のカタログの表紙になったのが実物のオーシャンくんでした。
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純血うさぎの啓蒙を語る時に、ラビットショーの存在を忘れる事はできません。多くのうさぎに魅せられたブリーダーが多くの時間をかけて、繁殖され続けている純血うさぎの存在を知ってもらう事で、うさぎの地位が向上すると考えました。ラビットショーは、純血種そのものの存在を理解してもらえる絶好のチャンスでした。その開催の仕方も手探りから始まり、正直とても大変でした。この時、私たちと同じようにラビットショーを開催した団体やショップもありましたが、ほとんどが単発で終了です。私たちは続ける事に意味があると考えて、どんなに大変でも、うさぎを大切にしてもらえる世界を作ろうと努力しました。今では、ラビットショーの役割も『うさフェスタ』が担えるようになり、定着したイベントになってきました。 |
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飼育用品が揃い、うさぎちゃんを診てくれる獣医師も多くなり、うさちゃんの生活環境は大きく改善されてきました。もちろん、飼育情報はまだまだ錯綜していましたが、今現在の飼育環境と基本は大きく変わらないかもしれません。うさぎのしっぽは10年目の節目に、うさぎ業界や飼い主さんたちとの関わりの中で、専門店としてどうあるべきかを考えました。「うさちゃんの健康を守る獣医師」と「飼い主さんとうさちゃんの生活を支えるショップ」、「うさちゃんとのより良い生活環境を整えるメーカー」が三位一体となりお互いの本分をわきまえ協力し合う事が大切だと思います。私たちうさぎのしっぽは、決して"先生"にはなりません。うさちゃんと飼い主さんに寄り添う事を選びました。そして、ずーっと安心して生活できる環境を作るために、何をすべきか・・・。これが次の10年の課題でした。 |
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うさぎ専門店は、うさちゃんと飼い主さんの架け橋となり、広い視野を持って情報を集め関係業界の発展を後押しする名脇役になる事が使命と考えました。そして、本業では飼い主さんに必要なうさちゃんのケアや色々なサービスを常に向上させ、立ち止まる事なく継続する事が私たちの専門性と考えました。 |
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うさぎのしっぽは、1997年に設立し、その10年後、2007年に今の横浜店に移転OPENしました。私たちは、お客様がサポートに来られる距離にお店を作ろうと考えていましたので、その後、2008年 恵比寿店、洗足店、2012年 柴又店、2013年 吉祥寺店、2015年 尾山台店、そして2016年8月13日に二子玉川店をOPENしました。それぞれのお店で、グルーミングサービスや飼育相談ができて、お客様が安心してうさちゃんと生活できるようにする為には、地域密着の店舗が必要だと思っています。また、生きているうさちゃんへの対応は、いつ何があるか分かりません。2008年の恵比寿店を皮切りに、横浜店、柴又店、二子玉川店を年中無休(定休日なし)としました。これによって、お客様が何か困ってもすぐに対応できるようになったと思います。 |
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うさぎのしっぽは、日本にうさちゃんと生活する方がいる限り、絶え間なくサポートをし続けたいと思っています。今、行っているサービスを継続し、ブラシュアップする為に、日々勉強を続けています。毎月スタッフ全員で集まり、勉強会を開催し、うさちゃんや用品に対する知識、グルーミングに対する技術等を確認し合います。毎年全米で開催されるARBA(アメリカンラビットブリーダーズアソシエーション)のナショナルコンベンションへの参加、年一回の牧草地への視察などを行いながら、常により良いサービスが提供できるようにしています。 また、うさフェスタなどのイベントも、休む事なく続けていく事が大切だと思っています。うさちゃんとの出会いがもたらしてくれた幸せを共有できる場所はうさちゃんに関わった人にとって、とても重要です。うさちゃんの地位向上にも、メーカーさんの努力が関係する生活環境の向上にも、大きな意味があると思っています。 |
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これからのうさぎの世界を引き継いでくれる人材の育成が、私たちの使命だと思っています。うさぎのしっぽに関わったスタッフが、新しいスタッフや学生に伝えていく・・・。小さな命を中心に集まった者同士がその出会いに感謝し、互いに情報を伝えていく。そんな世界を作っていきたいと考えています。うさぎのしっぽは、2015年にRABBIT ACADEMY洗足(講習会を行う学び舎)を発足させ、2016年にうさちゃんのトレーニングを行う場所、うさぎのしっぽCAMPを作りました。 これからも、みなさんと一緒に、より良いうさぎの世界を作っていきたいと思います。 |
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今回のうさフェスタ秋2017では、うさぎのしっぽの用品の歴史、フードの歴史、デザインの歴史などをポスターにして展示する予定です。うさぎの用品がない時から、なんでも揃う現在までの20年間をみなさんと振り返りたいと思います。お楽しみに! |